巻頭言 Vol.57 No.5 2021
巻 頭 言
命への投資
安房医師会 理事 松永平太
25年以上前、南房総の地に大学病院と匹敵する大きな病院があり、そのために医療費が膨らみ、社会保障負担で地域が潰されると言われていました。しかし、25年経った現在、逆に地域創生のモデル地域となっています。その病院のおかげで命の安心安全が日本一になっており、若い世代の働く場となり地域経済の支えとなっており、地域にとってなくてはならない存在になっています。医療が地域の大きな産業になっているのです。
世界一の超高齢社会である日本で、若者の10倍以上の医療費を使う高齢者が増えれば、当然医療費が増えるのは当たり前です。しかし、医療費が増えれば医療保険が破綻し、医療崩壊し、日本が沈むという論調が幅を利かせているように思えます。その論調は間違っていると私は思います。間違った論調の結果、過剰な医療費抑制政策がまん延し、薬代を過剰に削られ創薬しづらくなり、人員が過剰に削られて医療現場は疲弊しています。私達は、命への出費を節約しているのではなく、ケチっているという病識を持つことが大切でしょう。
今から4年前、給料の半分を税金でとられ、残った半分で消費税25%を払いながら、世界一幸せを感じる国・デンマークへ行って来ました。デンマークは、教育費、医療費、介護・福祉費がかからないかわりに、高い税金を負担しております。デンマーク人は、負担した税金は戻って来るから良い!そして、国民である自分自身が決めているのだからと笑顔で答えていました。デンマークで学んだことは、国民は必要な負担は納得し、頑張ることです。
命への出費は、命の安心安全のためであり、未来への投資でもあります。社会保障費が膨らめば国が衰退すると言う人がいますが、本当にそんな国があるのでしょうか。私の知っている限りでは在りません。逆に、社会保障の進んだ国ほど豊かになっています。超高齢社会で高齢者が増えれば医療費が増えるのは当たり前で、国民の負担が増えることは仕方のないことで、国民も納得せざるをえません。日本の医療保険は、潰れることはないです。
新型コロナ禍において、治療薬が無いだけでこれほどまでの萎縮した世界になってしまいました。麻疹が集団免疫をつけるのに5000年ほどかかったことを思えば、新型コロナが落ち着くのに数年で済むはずがありません。しかし、新型コロナにはワクチンがあります。命を守る唯一の方法は、ワクチン接種しかありません。ですので、強くワクチン接種を勧めます。そして、治療薬とワクチンの存在にもっと感謝し、製薬会社を尊ぶべきでしょう。
新型コロナ感染症は、「大切な人と人とがつながる」ことを避けなければならない病気です。人はつながることで支え合い、助け合い、優しい社会が生まれます。「人」という文字には、まさに人と人とが支え合う意味合いが入っております。新型コロナ感染症との闘いは、夢、未来への挑戦と言うこともできると思います。私自身、新型コロナに負けずに東京オリンピックを開いて良かったと思います。出歩かず、自宅でゆっくりと家族でテレビ観戦をし、たくさんの夢、未来への力をもらうことができました。よかったです。
私達は、もう少し、命を守るために負担しませんか。
今の日本、負担ばかりを気にして、貧乏になっているような気がします。日本には世界一の医療保険があるという誇りを持ち、節約の観点を持ちながら、豊かな日本を創りたいものです。
命への負担は、今を守り、未来への投資と私は考えます。
巻頭言 Vol.57 No.4 2021
巻 頭 言
地域のさらなる飛躍へ
安房医師会 理事 亀田俊明
この度、初めて安房医師会ニュースの巻頭言を書かせていただくこととなりました。
3年前に安房医師会の理事に就任させていただくまで、恥ずかしながら、私自身医師会という組織をあまり理解できておりませんでした。それまで勤務医としてさまざまな医療機関を転々としておりましたので、そもそも医師会という組織との関わりが薄かったことと、正直あまり良い印象を持っていなかったというのが正直なところです。そのため就任時にはとても不安だったことを覚えています。
しかし、いざ安房医師会に関わらせていただくと、自分の知見の狭さを大いに反省することになりました。
もしかしたら安房医師会が特別なのかもしれませんが、地域への深い愛情、かかりつけ患者に対する熱い情熱と責任感、そして医療機関同士お互いを思いやり、支え合い、尊敬し合う関係など、これまで自分が思っていた医師会像とは全く異なっていました。
医師会が果たしている役割は非常に大きく、診療のみならず、健診、教育、災害対応、地域連携などなど多岐にわたり、特にここ1年は新型コロナウイルス感染症対応でも病院-診療所-保健所-各施設-市町村などとの連携を調整する重役を背負ってくださっています。
コロナ対応で物品が不足していると相談した際には、先生方の所も十分ではなかったと思いますが、できる限り優先して補充してくださいました。また、コロナ患者受け入れ病床確保のため、一般病床を急遽空けなければならなくなったことを相談させていただいた際にも、安房医師会より近隣の医師会にまでお声をかけて下さり、たくさんの転院患者を引き受けていただき、無事体制を整えることができました。
このような素晴らしい連携が取れる安房医師会の会員であることを、現在は誇りに思っております。これから人口減や過疎化が進むと言われている当地域ですが、このままずるずると荒廃していく場所とは到底思えません。
海と山それぞれの豊かな自然に囲まれ、温暖な気候で生活コストも安く、都心までも2時間圏内。そして何より、これだけ安心できる医療体制が整っている土地は他にないと思います。安房医師会を中心にこの強い地域医療連携を活かし、さらに南房総の魅力を高めて行けば、必ず明るい未来が待っていると信じています。
巻頭言 Vol.57 No.3 2021
巻 頭 言
自助の精神
安房医師会 専務理事 石井義縁
鬼滅の刃ブームである。とは言っても小生は観たことはないが、周囲から感動的だったと聞く。この物語は、目標をもって頑張れば必ず達成できるという精神が感動を呼んだらしい。
明治維新は西洋の文化・文明を積極的に取り入れ、半ば無理やりに自国を発展させる変革であった。それと同調するのが、福澤翁の「学問のすすめ」であろう。これは、人々が実学を修めることによって、現実における人間の不平等を是正し、平等な社会に近づくことを求めることとされる。この反面、古来の精神で反政府的な行動にでて抹殺された代表的人物が西郷隆盛である。この流れが良かったのかそうでなかったのかは、歴史学者の仕事であるが、この流れによって、日本人に「自助」の考えが生まれ、財閥の力が薄れた。日本は、西洋に追いつけと目標を立て、ヨーロッパやアメリカに使節団を送り技術を習得し、近代化させる方向に舵をきった。天皇制で従順な庶民もそれに従い、日々働き続け頑張った結果、世界トップクラスの近代国家に成長し、貨幣価値も絶大な信用を得るようになった。従って、今でも何かにつけ保障せよという、昔から今も大国に頼っている半島の国々は、近代国家をいち早く成し遂げた日本の精神と相反するのは仕方のないことであろう。昨今、日本もミニマムインカムとやらで、働かなくても最低限の生活ができるように保障するといい公的資金で賄うとされている。これがダメとはが言わないが、日本人が、ちょっと前に持っていた自助の精神はどこへ行ってしまったのだろう。努力すれば報われる精神はどこに行ってしまったのか。我々の仕事は、自助の精神で成り立っていると思う。特に新型コロナ感染症病棟で働いている医療従事者は、自助精神の極みであろう。よって公助を強く求める人に対して、違和感を覚えるのは、私だけではないのではないか。
昨年から、新型コロナの影響で、ほとんどの人が何もかも経験したことのない日々を送っている。政府からは、セーフティネットとして色々な補助金がでているが、これこそ公助であり、現状況ではやむなしである。2月17日に、日本でも先行接種のワクチンの接種が始まり、当地域でも3月中旬に医療従事者優先接種が開始された。ワクチンの供給不足もありまだまだ先は見通せないが、今年中には、自助にて生活が回復できることを願うばかりである。
余談だが、福澤諭吉は、緒方洪庵塾で学んだ。言うまでもなく、緒方洪庵先生は医者である。福澤諭吉は、洪庵先生に相当気に入られたようだが、医者を志す仲間に囲まれていたにも関わらず、医者にならなかったのが個人的にはとても不思議でたまらない。
巻頭言 Vol.57 No.2 2021
巻 頭 言
千葉県知事選挙について思う
安房医師会 副会長 鈴木丹
まず初めに、これだけは明言します。特定の候補者の選挙応援ではありません。
2019年9月の房総台風と10月の台風19号そして、2020年3月からのコロナ禍で貴重な体験をし、他県の知事の政策立案と実行力を観ました。知事と県行政が協力して行動すると、地域住民や地域医療がどれ程救われるか痛感しました。
房総台風の翌日に3市1町の行政、保健所、安房医師会、救急医療施設は連携して対策本部を設置し、被害情報・避難情報の情報交換を行い、対策方針を決めました。DMAT 待機要請・DMAT 要請・県知事に自衛隊の災害対策派遣要請 等です。ライフラインの切断(停電と断水)は深刻な問題でした。
獅子奮迅の活躍をしている当時の保健所長に、何も知らなかった私は「何故、給水車と発電車の配備要請を県の行政機関に要請しないのですか。」と尋ねました。所長は「政令指定都市の保健所長ならば、もう少しの権限がありますが、県から派遣されている私には、その権限はありません。」と、返答されました。
後日私が調べたところ、県の健康福祉課には給水車や発電車は数台しかなく、数十台の給水車や発電車は県の総務課の管理で、県の決定がなければ1台も動かせないとのことでした。更に、健康福祉課は毎年多額の予算を計上していますが、災害時の予備予算が殆どないことも判明しました。
そして、2020年3月からのコロナ禍です。コロナウイルスの予防接種が外国で始まりましたが、日本では早くても2021年3月頃からと思われます。ここからが正念場で、国民の約70%以上の方が抗体を獲得してコロナウイルス感染が鎮静化するのに数年かかると言われています。
不思議なのは、千葉県以外の知事からは、非常事態宣言の必要性とか感染レベルの変更や対策方針をマスコミを通じて聞けますが、千葉県知事からは殆ど何も聞けません。
私は今回の千葉県知事選挙について思想、宗教、支持政党に関係なく、
1、630万人の千葉県民の将来を自らの考えで政策立案できる
2、危機管理能力に優れたリーダー
3、現場を重視する政策
4、コロナ感染を含む疾病対策
以上の事を真摯に受け止め、実行できる方を次期千葉県知事にと思います。
今回の巻頭言には賛否両論があると思います。私は安房医師会と安房郡市の住民だけでなく、千葉県の将来についても良いと思い投稿しました。
何卒宜しくお願い致します。
巻頭言 Vol.57 No.1 2021
巻 頭 言
カブトムシとコガネムシ
安房医師会 会長 原 徹
「貧乏な人とは、少ししか物を持っていない人ではなく、無限の欲があり、いくらあっても満足しない人のことだ」 これを私の令和3年初めの提言とさせてください。 世界一貧しい大統領と呼ばれた 第40代ウルグアイ大統領 ホセ・アルベルト・ムヒカ・コルダノの言葉です。 彼は大統領公邸には住まず、首都モンテビデオ郊外の古びた平屋に妻のルシア・トポランスキ上院議員と2人暮らし。1987年製のフォルクスワーゲンをみずから運転し、公用車に乗る時も、決して運転手にドアの開け閉めをさせない。給与のほとんどを寄付し、月1,000ドルで生活していた大統領です。個人資産はくだんのワーゲンと自宅と農地とトラクター。その暮らしぶりから「世界で一番貧しい大統領」と呼ばれていました。
1935年5月20日、スペイン系の父とイタリア系の母の間に、ウルグアイの首都モンテビデオで生まれた。7歳の時に父親が亡くなり、家畜の世話や花売りなどで家計を助けながら、社会運動に目覚め、一時期は極左武装組織(ツパマロス)に参加。軍事独裁政権下でのゲリラ活動にも従事、活動中には6発の銃弾を受け、4度の逮捕を経験。最後の逮捕では、1972年から軍事政権が終わり85年に釈放されるまでの約13年間の過酷な獄中生活を送りました。「人類に必要なのは命を愛するための投資だ。全人類のためになる活動は山ほどある。世界一乾いた砂漠の気候を変える。それは人間にもできる。年寄りが金を貯め込んだり、高価な車を生産する代わりにできる」「人生は短く、あっという間です。命より大事なものはありません。しかし必要以上にものを手に入れようと、働きづめに働いたために、早々に命が尽きてしまったら?…」「あくことなく、ものを手に入れ、ものを作り続けることが今の社会を動かしています」「私たちは“発展”するためにこの世に生まれてきたのではありません。この惑星に“幸せ”になろうと思って生まれてきたのです」「今の時代、“自由”とは“欲望”を追求することになってしまった。変わらなければならない、新しい世代にその機会をゆだねたい…」何だか心に沁みる、しかし耳が痛くなる言葉でもあります。
災害に加えて新型コロナの不安が重なり、何かと暗い毎日を送っている現在の状態で、何が生きる目標であるのか考えさせられる毎日です。彼はフォルクスワーゲン=カブトムシを愛していましたが我が国にもコガネムシの歌があります。大正11年に野口雨情の作詞、中山晋平の作曲で書かれた哀愁を帯びた歌です。『黄金虫は金持ちだ 金蔵建てた蔵建てた 飴屋で水飴買つて来た黄金虫は金持ちだ金蔵建てた蔵建てた 子供に水飴なめさせた』この童謡で歌われている「コガネムシ」。
ここでいうコガネムシは「ゴキブリ」を指すとされる説があります。ゴキブリの名前は、『「御器(ごき)」を「かぶる」』というのに由来しているそうです。要は、「食卓に集まってきてしまう虫」ということです。大正の昔には、食べ物が豊富で暖かい部屋のあるお金持ちの家にはゴキブリがいたもの。つまり、「金持ちの象徴」とされました。今のように、豊かな暮らしではない時代に作られた歌です。お金持ちの家には、さまざまな美味しい食材が集まっていたのでゴキブリは、そうしたエサを求めて、やってきたことから、このように歌われたと考えられています。それにしても何だか悲しくなる歌だと思いませんか?我々は一体何を求めて生きてゆくのか? この歌と同様、謎に満ちた命題です。
令和3年が少しでも希望に満ちた明るい年になるには『自分自身の考えを変えなければならない』と考えています。それにしても物欲は際限のないものですが・・・。
巻頭言 Vol.56 No.6 2020
-少子高齢化に備えて-
安房医師会 副会長 竹内信一
新型コロナウィルス感染症でお取込み中のご時世ではありますが、今後の少子高齢化について再考してみることにしました。今の少子化のペースでいくと2050年の日本の人口は8,000万人近くとなり、高齢化率40%で働き手どころか日本人自体の消滅が見えてくる気がします。具体的には少子高齢化が進んだ時には3つの問題点が指摘されています。1)労働力不足-経済への影響、2)若年層への負担増-親の介護、医療費の増大、3)年金制度の崩壊、です。そして、高齢化すなわち高齢者が増加するため引き際や定年制と言った問題で片付けられている気がしてなりません。確かに高齢者には少子化問題の解決に直接寄与することは困難ではありますが。そこで、高齢者が生かされている歴史的、生物学的意味について文献を紐解きながら考えてみました。ホモ・サピエンスの歴史の中で、高齢者はその知識や経験が群れ全体の生存に役立つだけではなく、例えばみんなが食べ物の狩りや採集に行っている間に赤ちゃんの面倒を見るとか、留守番をするなどして、次世代の育成に役立ってきた-すなわち、高齢者がなぜ生きているかといえば、次の世代のためなのです。また、「ゾウの時間ネズミの時間」で著名な生物学者である本川達雄氏も生物学的な観点から次のように提言しています。
老後においても、私は生殖活動に意味を見つけようと思います。とはいえ、生々しい生殖活動ができなくなるのが老いというものです。そこで、直接的な生殖活動ができなくても次世代のために働くこと-これを広い意味での生殖活動と考え、これに老後の意味を見つけたいのです。具体的に言いましょう。われわれ老人は子育てを支援し、若者が子供を作りたくなる環境を整備する。身体も脳も日々よく使い、自立した生活をして老化を遅らせ、必要になったら互いに介護に努め、医療費・介護費を少なくし、そうすることにより、できるだけ次世代の足を引っ張らないようにする、ことです。
これから人生100年時代を迎える現代、高齢者も引き際や定年といった後ろ向きな考えではなく、健康なうちは「オール・サポーティング・オール」の精神で、年齢に関係なく生きていけば前述した1)-3)も少なからず解決するかもしれません。最後に、しつこいようではありますが、「高齢者は若い世代のために生きている」ということを再認識しようではありませんか。
巻頭言 Vol.56 No.5 2020
大きな試練に備えて
安房医師会 会長 原 徹
この原稿は令和2年8月1日に書いています。関東地方は梅雨明けがようやく宣言されましたが、コロナの新規感染者数は増加が続き、東京都では472人と3日連続で過去最多人数を更新しています。大阪府、愛知県、福岡県、また神奈川県・埼玉県・千葉県など首都圏でも増加傾向がみられ、7月31日に確認された新たな感染者数は、全国で1580名を数えました。それでも重症者は比較的少なく、幸いなことに死亡者も諸外国に比較し少数に逗まっています。
安房医療圏では4月に南房総市で初めて発生、その後3ヶ月間は0でした。2例目は7/11に館山市で感染者が報告、幸い海外からの帰国者で無症状病原体保有者であり、感染拡大には至りませんでした。そして7/20には鴨川市で医療関係者の感染が判明、61人の濃厚接触者を評価した結果、全員がPCR検査陰性の結果となりました。しかし終息の予測は依然として立たず、地域経済の冷え込みは感染の実情に比較し極めて甚大な状況に陥っています。これまでにも様々な経済支援策が出されましたが、地球規模に及んだ災厄を簡単に回復することは困難であり、今後経済の悪化が原因で、様々な諍いが生じる事が予測されています。
そんな訳でstay homeで生まれた時間を活用し、改めて昭和の歴史を振り返る作業を行いました。『人間は何故争い、戦うのか?』を学ぶ事を目的としました。自分自身や家族など親しい人々の生活や安全を確保できない状況下に陥った際、人間はどの様に行動すべきなのか? 僅か75年前、1945(昭和20)年当時には現在とは較べる事もかなわない過酷な状況下で、国や家族の為に人々が自己の生命を捧げて戦っていた時代が、我が国にはありました。その過程で資金や資源も無かった我が国が、欧米に搾取されていた亜細亜を植民地支配から解放することを掲げ、世界に大きな変革を齎した事は日本人として誇るべき事であると思います。そしてその実現にむけた方策として大東亜共栄圏が提唱されました。昭和18年11月に開催された大東亜会議には東南アジア独立の英雄達が集まり、その共同宣言では大目標として『大東亜を米英の桎梏から開放する』ことが掲げられました。そしてその上で ①同義に基づく共存共栄 ②自主独立の尊重 ③各自の伝統を尊重し各民族の創造性を伸暢する ④互恵的経済発展 ⑤人種差別の撤廃 以上の五項目が盛り込まれました。大戦後の世界史を振り返っても、国の在り方を示す素晴らしい指針であったと考えます。現在我が国だけでなく、世界の多くの国々が経済的危機に直面しています。これを武力や暴力を回避し、乗り越えて進むには人類全体の連携、相互理解が必須であると考えます。その基盤となる理念として前記の五項目が極めて重要であること。逆にこの相互理解がなければ必ず『諍い・戦い』が生まれることは必然です。
この宣言は理想的に過ぎる内容であるかも知れません。しかしこれから少なくとも数年間は人類にとって極めて大きな試練に立ち向かわなければならない時代になると覚悟しています。コロナ禍も、これまでの度重なる災害もこれから直面するであろう『大きな試練への序章』であると受け取り、『公益法人として地域住民の健康を支える組織』であるとともに『社会に貢献できる組織として利他の精神を保ち』安房医師会活動を進めて行く覚悟です。
巻頭言 Vol.56 No.4 2020
巻 頭 言
安房医師会 理事 岡田唯男
なぜか前回の巻頭言も理事改選直後であった。前回の巻頭言では「よそ者、若者、馬鹿者(世の中や組織を変えるのはこの三者と言われています)」の立場を活かして頑張りたい、といったことを書いたが、房州での暮らしも20年目が射程距離にはいってきた。「京都十代、東京三代、大阪一代」(その土地の人間となるのに、京都は十代かかるが、東京は三代、大阪は一代でよい、十代住み続けて、はじめて京都人として認められる)」という言葉があるそうだが、房州はどれだけ住めばその土地の人間と名乗ることが許されるのだろうか?私が時々引用する詩に玉井袈裟男氏(信州大学名誉教授、農学者、社会教育指導者1925~2009)のものがある。そのまま下記に引用する。
風土という言葉があります
動くものと動かないもの
風と土
人にも風の性と土の性がある
風は遠くから理想を含んでやってくるもの
土はそこにあって生命を生み出し育むもの
君、風性の人ならば、土を求めて吹く風になれ
君、土性の人ならば風を呼びこむ土になれ
土は風の軽さを嗤い、風は土の重さを蔑む
愚かなことだ
愛し合う男と女のように、風は軽く涼やかに
土は重く暖かく
和して文化を生むものを
魂を耕せばカルチャー、土を耕せばアグリカルチャー
理想を求める風性の人、現実に根をはる土性の人、
集まって文化を生もうとする
ずっとそこに住む者にも、流れてきては去る者にもそれぞれの強みと弱みがある。日本中の、特に地方において人口減少が始まっている時代、関係人口(時々繰り返しやってくる人)の力も借りなければならない、日本自体がインバウンド(海外からやってくる人)の力も借りなければならない時代に、その人がずっと住み続けてくれる人なのか? その人は仲間なのか?余所者なのか?という問いを立ててその結果によって不利益が生じるような対応の仕方が生じることほど「もったいない」ことはないのではないだろうか? 日本は、特に地域はそういう余裕すらない状況だと先に気づいて、猫の手も借りる、役に立つものはなんでも使う、とやり方を変えた地域、集団だけが今後生き残れる時代のように思う。
巻頭言 Vol.56 No.3 2020
2020に思う・・・
安房医師会 理事 石井義縁
新型コロナウイルスは、WHOがCOVID-19と命名した。そのWHOの感染症危機管理に大学の同級生であるS氏がいる。2月9日に、某局の衛星中継で新型コロナウイルス感染症のインタビューに答えていたのを、偶然にも観た。S氏は、「中国が早めに武漢を囲い込んだおかげで、一時的に海外への流出が抑えられたが、おそらく2月下旬まで持ちこたえるのが精いっぱいであろう」と語っていた。2月12日時点で、日本では検疫官や武漢からチャーター機で帰国した自宅待機の人が感染していることが判明。翌13日には、国内初の死者が報告され、同日、感染経路もわからない和歌山の医師の感染も確認された。S氏は、2月14日の日本環境感染症学会の緊急セミナーで講演をし、「新型インフルエンザ対策では、2009年のパンデミックの際に、日本は最も人が死亡しなかった先進国であり、今踏ん張って頂きたい」と締めくくっている。その後も新型コロナに関わった検疫官や医療従事者らの感染が相次いだ。これは、普段から清潔領域を守りながらの脱着の仕方に慣れない人がマスクやグローブをしても、感染防止対策は完全ではないということである。S氏は、前述の講演で、WHOではマスクは症状がある人、あるいはその患者の診療にあたる人以外は勧めていないと語っている。WHOは2月28日に、危険度を、「非常に高い」に引き上げ、3月4日には、日本国内の感染者数が1000人を超えた。3月12日に、WHOは、とうとうパンデミック宣言をした。4月に入りWHOは、手洗いや対人距離の確保といった対策が難しい場合には、マスクの着用は正当化されると見解を変えた。英国では、新型コロナ感染症に罹っていたジョンソン首相が4月5日にロンドンのSt Thomas’病院に入院し、翌日ICUに移った(ここは約20年前の小生の留学先である)。4月7日に、日本では千葉を含む7都府県に緊急事態宣言が発令された。いきつくところ、しっかりと睡眠と栄養をとって、感染してもそれに打ち勝つ抵抗力を維持することが、何よりも大事なように思う。
今年は、一応オリンピックイヤーである。大学までかれこれ12年間陸上部一筋で過ごした小生にとって国立競技場は夢の舞台である。幸いにもそのチケットが当たった。WHOがパンデミック宣言をした日、ギリシャのオリンピアで聖火が灯され、3月20日に日本に到着した。しかし、予想どおり新型コロナ感染症の世界的拡大の影響で、2021年夏に延期された。とにかく今を踏ん張り、来年夏のオリンピックを、夢の舞台で観戦したいものである。
余談だが、国立競技場の真ん前に、24時間営業の「ホープ軒」というラーメン屋さんがある。ナショナルスタジアムを訪れる際には、是非ここに立ち寄ることをお勧めする。
巻頭言 Vol.56 No.2 2020
自然災害に思う
安房医師会 理事 田中かつら
年も改まり、すでに立春を迎え、時は年度末へ。しかし、まだ房総のあちこちにブルーシートが張られた屋根を見かける。通院される患者さんからも、続く雨漏りやカビの影響、風が吹くと眠れないなどの訴えを聞く。昨年の台風被害は過去ではなく、まだまだあの痛手から抜け出せていない。報道される新型肺炎もある意味自然災害の一つ。自分たちではどうしようもない脅威から、それでも身を守らねばならないことには変わりはない。正しい情報を得ることの大切さと、その情報を正しく伝えることの難しさを改めて感じている。
前回の台風災害は様々な貴重な体験を与えてくれた。特に通信障害は、この何年も当たり前だった常識が崩れた。私が研修医時代(1985年頃)ポケットベルが主流。アナログの携帯電話が出始めた頃でもある。携帯の通信状況は悪く、着信音が鳴っても繋がりが悪いため、近くの公衆電話で掛け直した記憶が蘇る。今回の15号台風被害で固定電話、携帯電話、公衆電話の全ての通信手段が途絶えた。微かな電波を求め、診療の合間に市内を移動。やっと繋がった電波は途切れ途切れ。地区の被害状況や、地元以外の情報は皆無であった。今日明日の医師会理事会開催や行政の会議がどうなったか?いろいろな手立てで情報を得ようとした。そして、どうやって知り得たか?それは、最も原始的な方法「人伝て」であった。孤立した医療機関どうしをつなげてくれたのは、顔見知りの行政の方々や、いつも訪れてくれる卸業者、災害時のノウハウを持っている製薬会社、そして介護・福祉関係の仲間達であった。もともと35年前はこうだったんだと、再度確認した次第である。便利な手法に慣れ、忘れてしまった「大切な人たち」を気づかせてくれた。そして、自分が支援されて初めて「支援」とは何かを知る。
今では停電の大変さについて、多少は笑って人に話すことができる。しかし、同じことがまた起きた時にもっとうまく凌ぐことができるだろうか?何も問題がなく普通に生活できている今、自分に問われていると思う。
当時を振り返ると、やはり自分のことで精一杯であった。しばらくして開催できた安房医師会理事会では、被害状況の確認が精一杯。更なる支援行動についてあまり心が及ばなかった。それは、きっと私だけではないだろう。被害が大きければ大きいほど、客観的に俯瞰した状況になれないからだ。次の災害時にはもっとうまくできるであろうか?甚だ不安ではある。今回の検証がまだ十分にできていない。十分な電波や電気がある中で、忘れてはいけない体験を思い出す機会は続けなくてはいけない。非日常から日常を考えることが、さらにより良い日常を得ることができると信じている。
安房医師会の使命は、地域住民へ医療を安定して提供することである。非常時も同様だ。提供する医療機関の安全を確認し、安否確認を含めた情報共有と、災害非常時に必要な対応を随時提供し続けることである。
では、情報をどうやって共有するか?刻一刻と変化する災害時医療内容を把握するには。通信以外の方法は何があるのか?安房には安房のつながり方があるはずである。人とのつながりをもっと活かせないか?繋がりの確認、ルート確認は必須である。
災害時、細かく地域医療ニーズを拾うために、避難所を担当医制にして地区避難所へ出向くことも検討が必要と考える。今回、出向いた現場がたくさんのことを教えてくれた。医師一人で避難所の方々に何ができるわけではないが、少なくとも医療とつながっている安心感は提供できるはずである。地域と医療を繋げることも医師会の使命である。
次に来る災害までにやっておくことはたくさんある。歩みは止めている時間はない。