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公益社団法人 安房医師会

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巻頭言 Vol.53 No.5 2017

2017/09/10(日)

巻 頭 言

安房医師会 会長 小嶋良宏

近年、Information and Communication Technologyが発達し、我々が生活していくうえで、それを利用することはもはや切っても切り離すことができない世の中になっているのは否定できないであろう。
特にSocial Network Service(以下SNS)を利用している人々は全世界に存在する。
最近、そのSNSを使ったツールの勉強会に出席したので、その概略について以下に記す。
災害時の安否情報共有アプリ。
その製品はスマートフォン、PCを使っての情報伝達SNSである。家族、企業、学校、グループなどで管理者(権限者)を決め、専用アプリを個人で取得、登録する。登録したメンバーの安否情報を管理者は一覧で確認することが可能なサービスである。
使用方法であるが、スマートフォンの画面に幾つかのボタンが表示される。体の状態を伝える、周りの状態を伝える、これからの活動を伝えるボタンが並んでおり、自分の状況を画面にタッチするだけで、瞬時にその情報が管理者に伝わる仕組みになっている。
たとえばの使い方であるが、医師会が管理者となり、賛同された会員がそのアプリをダウンロード。
災害時には、先に述べたように画面をタッチし、情報を伝達したとしよう。医師会のPCの画面には、各会員が画面を押した時間、地図などが表示される。その情報を参考に、緊急医療体制などを構築することが可能であると考える。
しかしながら、管理者が被災した場合には安否確認ができないだけではなく、機能不全に陥る懸念がある。
このSNSを利用していない会員の安否確認ができない場合、他の方法を使っての確認となるのは言うまでもない。しかしながら大災害のパニック状態時にどのようにして安否を確認するのか、誰が確認するのかは今後の課題である。
医療と介護を担うグループ内での連携のアプリ。
やはり、スマートフォン、PCを使ってのSNSである。
要介護者、在宅患者を中心とした多職種連携ツールであり、ヘルパー、ケアマネ、医師、看護師、薬剤師などがチーム医療をするときの医療介護連携をスムースに遅滞なく行う方法である。
たとえば、医師が往診した時にその患者さんの情報を入力すれば瞬時にチームを組んでいるメンバーに情報が伝わる仕組みであり、いちいち電話をしたりファックスを送ったりしなくて済む。また、情報を共有することにより、同じ質問をしなくて済み、2度手間、3度手間といった無駄を省くことができる。
文字情報だけではなく、その場において写真を撮って送れば体の状態を瞬時にチーム全員が把握することが可能、また災害時には近所の状況の写真を送ることにより被災程度の状況判断にも有用かと考える。

以上2種類のSNSの概略を列挙したが、短所ももちろん存在する。
使用者側の一般的な短所としては、スマートフォンの充電切れ、機器の故障であろうか。サイト側では、サーバーの故障も考えられる。
大きな短所としては、故意またはミスによる情報漏洩である。災害時には、個人の安否情報は個人情報保護法違反にはならないとい考えるが、介護医療関連ツールにおいては患者情報が漏れた場合、最大のプライバシー侵害となってしまう。その情報の管理は厳密でなくてはならない。
また、集められた通称Big Dataを加工し、その情報を特定の企業なりに売りつけビジネスとしてしまうかもしれないが、それを心配しても埒があかないのが現状である。
いずれにせよ、上記の2点はただの情報伝達ツールであって、最後には人間対人間の関係が最重要になる。
安否情報共有アプリは、それを登録している人々には何らかの恩恵があると考えるが、全住人が登録するのは不可能である。もし、災害時に登録していない人々が不明になった場合には住民の方々、特に隣近所の方々、郵便、宅急便や新聞配達の方々などの協力がなければ安否確認は不可能であると考える。
医療介護連携アプリも同様、患者さんと我々の関係が良好でなくては信頼関係を築けないし、信頼関係あっての診療である。このようなツールをただ使っただけでは信頼関係は構築不可能であり、信頼関係を作るのは人間、ツールではないがしかし情報漏洩されたデータを悪用し信頼関係を壊すのも人間である。

将来、このようなツールが蔓延、溢れた時に大事なのは、得られた情報に飲み込まれるのではなく、情報を取捨選択し利用する能力であり、我々がツールに使われるのではなく、使いこなす能力であり、人間が主、ツールは従、情報を制するものが、、、、、、、、、。


巻頭言 Vol.53 No.4 2017

2017/07/10(月)

巻 頭 言

安房医師会 理事 石井義縁

 平成30年度から実施が予定されているであろう、地域包括ケアシステムの構築が各自治体で進められている。言い換えれば、各自治体で、その地域にあったやり方で何とかせよということである。さらに、国は在宅医療から看取りに向けた動きを加速させている。在宅医療から看取りは、住み慣れた自宅で、庭の草木でも見ながら安らかに、天寿を全うすることが本来あるべき姿だと言わんばかりである。2012年の内閣府調査では、最期を迎える場所に自宅や老人ホームなどを希望した人が6割を超えているという。しかしながら、実際には病院の看取り率が78.6%で、自宅や老人ホームでの「地域看取り率」は21.4%というデータもあり、希望と現実に違いがある。また、介護疲れ、介護負担により、弱者に手をかける報道が少なくない。新聞報道によれば、2013年以降、高齢者介護を巡る家族間の殺人や心中などの事件が、少なくとも179件発生し、189人が死亡している。加害者も60歳以上が6割を越えており、65歳以上の介護者の約3割が「死んでしまいたい」と感じたことがあり、4人に1人が、うつ状態が疑われるというデータもある。

 また、設備投資を最小限に留め、在宅医療専門の診療所ができ、その恩恵を受けようともしている。そもそも、医師はその時代の国の研修システムにはめられ、医師としての経験をつむ。在宅診療の専門医などいない。国として総合診療医の育成が進められているが、現在議論中の総合診療医がすべてを網羅できるはずもなく、「総合診療医」という名が一人歩きしてきたようにも感じる。我々医師は、過去の経験に基づき、その中で、可能な限り最高の医療を提供するに尽きるのである。

 このような流れのなか、最期をどのように迎えるかは、本人の意思のみならず、介護者を含む家族の状況にも大きく左右されるのであり、兎にも角にも在宅医療をすすめることに、少々疑問を感じる。

 小生の老後は、どのような体制に乗せられていくのか見当もつかないが、周囲に迷惑をかけないようにソフトランディングしたいと思う今日この頃である。


巻頭言 Vol.53 No.3 2017

2017/05/10(水)

巻 頭 言

安房医師会 副会 竹内 信一

 最近、準?高齢者であることを自覚し始め、また昨年思わぬ大病(脳動脈瘤)を患ってから、今まで気にならなかった周りの事、世の中の事が気になるようになっている今日この頃です。そこで、そんな中でも特に気になる二つの事、一つは言葉の持つ重み・意味の重要さ、もう一つは出処進退について私見を交えて述べてみたいと思います。今年、アメリカでトランプ大統領が就任して以来、就任前からもですがマスメディアとのやり取りを見聞きしていると、言葉の重み・意味の重要さがないがしろにされている気がしてなりません。マスメディアで発表されたことに対して、alternative facts:もう一つの事実と称して「ウソ」の言い換えをしていると思います。post-truth:事実の軽視としか言いようのない状態です。

 一方、日本においても顕著な例として南スーダンにおける自衛隊のPKO活動について、戦闘地域で行われているにもかかわらず、戦闘ではないという詭弁を使っている現状があります。その他、小学校道徳の教科書検査の結果、「我が国や郷土の文化と生活に親しみ、愛着を持つ」との点から、「パン屋」が「和菓子屋」に変更されたりと、きな臭さを感じるのは私だけでしょうか。極めつけは「忖度」という聞きなれない言葉です。もともとは古代中国の詩集「詩経」の一節で、「他人心有らば予之を忖度す」とあり、意味は他の人に悪い心があれば私はこれを吟味するということであったのが、最近では権力者の顔色を窺い、よからぬ行為をすることを指すようになってしまったようです。言葉の本来持つ重み、意味が捻じ曲げられているのは悲しいことです。

 もう一つの気になること、出処進退については簡単に述べたいと思います。3月の大相撲春場所での横綱稀勢の里の逆転優勝を観て感動し、感じたところがあります。マスメディアは怪我をして出場した稀勢の里を「あきらめない心」、「ネバー・ギブアップ」と褒めたたえたが、本当は「知進知退 随時出處」すなわち進むべき時を知り、退くべき時を知り、いつでもそれに従うという信念を持っていたのだと思います。いかなる仕事についていようと、いかなる環境下にあろうと、「知進知退 随時出處」という背骨を持っている人間は強く、動じないのであろう。また、日本には「散り際千金」という退くべき時を知り、それに従って散ることは千金に値するという私の大好きな言葉があります。今後、私も年を確実に重ねていくので「散り際千金」の気持ちを持って生きていきたいと思っています。


巻頭言 Vol.53 No.2 2017

2017/03/10(金)

巻 頭 言

安房医師会 専務理事 鈴木 丹

 現在、地域包括ケアシステムの構築が急がれております。地域医療構想の計画を立てて、実施する方向性を示さなければなりません。(平成28年4月の時点)千葉県での65歳以上の人口割合は、24.3%で、全国の都道府県で、6位です。更に安房郡市を見れば、鋸南町は44.0%(県内2位)、南房総市は42.4%(県内3位)、館山市36.7%(県内8位)、鴨川市36.2%(県内11位)と既にかなりの高年齢化が進んでいます。思い出すことがあります。平成28年1月の安房医師会・学術講演会で、あおぞら診療所の川越正平先生の講演を聞きました。題名は「老いても病んでも地域で暮らし続けるために」で、千葉県松戸市の現状を懇切丁寧に以下のように話されました。

・医療介護連携と多職種協働
・地域デスカンファレンス
・多職種が一堂に会する会議
・行政と医師会の協力
・在宅、介護推進事業
・市民を巻き込む地域活動

 私は、この講演を聞いて衝撃を受けました。同じ千葉県ながら地域格差があり過ぎます。松戸市の医療介護を追い越そうは思えません。せめて離れずに、ついていこうと思いました。
 今年の1月に、安房郡市(3市1町)の医療・介護・福祉連携の会議を開きました。各地区の特色は残し、補う点は助け合い、協力できる所は、更に強固にしようとする会議でした。行政、医師会、多職種が、円卓で討議することが、どれ程大切なことかわかりました。互いの現状を理解し、今後の課題も見えてくるのです。
 5月に次回を開き、この会議を発展させ、市民をどのように巻き込んでいくか、討議したいです。
 次に、昨年の熊本地震や東日本大震災から、医師会、歯科医師会、看護協会、ケアマネジャ-協会の事務所について、思うことがあります。

・一ヶ所に集まることが良いと思います。
・可能ならば、行政の施設か、保健所のなかにあればと思います。

 災害時の行政や保健所からの連絡と、医師会をはじめとする多職種からの報告も大切です。災害医療チ-ムとして活動するには、医療に関する全職種の協力がなければ、不可能だと証明されました。
 最後に私的なことですが、昨年の3月に、起震車で地震の経験をしました。当時は、熊本地震の前でしたので、阪神淡路大地震、東日本大震災と同じレベルを、通常の建築家屋、耐震建築家屋、免震建築家屋で経験しました。
 耐震建築は横揺れの地震には、ある程度耐えられますが、直下型地震にはどれ程耐えられるか不安です。その点、免震建築は横揺れにも、縦揺れにもかなりの耐久性があります。免震建築ですと、阪神淡路大地震が震度4.5前後、東日本大震災が震度5.5前後に感じました。東日本大震災と同じレベルを通常の建築家屋で体験した時、本当の意味での恐怖を感じました。
 そして、これから建築される、行政の中核となる建物と地域の中核医療機関は、可能ならば耐震建築ではなく、免震建築をと思います。

 


巻頭言 Vol.53 No.1 2017

2017/01/10(火)

巻 頭 言

安房医師会 会長 小嶋良宏

 本来ならば、新年あけましておめでとうございますという新年の挨拶が適切だと考えます。しかしながらこの原稿を書いていますのはまさしく師走、せわしない毎日を送っており、失礼ながら割愛させていただきます。
 今回書きます内容はただ一つ、オール安房医師会。2大行事である医師会総会及び新年会には限りなく多くの会員の出席を目指したいと考えます。
 その理由は言うまでもなく会員の参加あっての総会、会員と理事会をつなぐ唯一の場が総会、年に一度顔が見える関係を構築、地域医療にさらに貢献するために会員相互の親睦を深める公式の場が新年会だからです。
 数年前よりこの号には3月の総会における事業計画案総論を書いてきました。それはそれで意味のあることかと考えますが、今一度立ち止まり、医師会の重要行事である総会出席者数を見直しますとあまりに少なく、新年度の事業計画案を審議する会としてはあまりにお粗末と言わざるをえません。総論案を書くよりも出席を促す文章を書き、総会を多数の出席者による活発な意見交換の場にしたいと考えます。
 理事会は会員に対し限りなく情報公開しているつもりです。時々、理事会はどうなっているのか、何をしているのかという声を聞きます。医師会ニュースに理事会活動、講演会の内容などを書いていますが、情報が100%会員に通じる訳でもなく、また読んでも100%理解できる訳でもありません。ただ読むだけでは理解できない内容もあり説明が必要かと考えます。
 総会の場で常日頃思っていること、疑問や批判、医師会ニュースの内容などについて質問、発言していただければ誠意を持って返答、説明致します。
 この医師会ニュースが会員のお手元に届く頃には平成29年の新年会は終わっているかもしれません。毎年の新年会の出席数はどうでしょうか?総会と同じく約50名、いつも同じ顔ぶれです。仕事の都合などで欠席されるのはやむを得ません。新年会、総会などに対しある種のアレルギーを持っている会員がいるかもしれません。酒席を強要するつもりは全くありませんが、年にたった一度の仲間の集まりです。ぜひ出席していただき、親睦を深めることが会員相互の理解や病診連携、診診連携の一助となると考えます。
 過去形になりますが、平成28年12月から担当理事、幹事あげての新年会出席攻勢を展開いたしました。多数ご参加していただき盛大な新年会にしたいと考えます。
 我々は会員あっての安房医師会と言うことを肝に銘じ、2大行事である総会と新年会の出席者を増やし、親睦、結束を固め安房医師会の組織を盤石なものとし、他地区医師会や県医師会に一目置かれるような組織を目指し、地域医療に貢献して行きます。

 


巻頭言 Vol.52 No.6 2016

2016/11/10(木)

巻頭言

安房医師会 副会長 原  徹

 毎年9月になると前年度の医療費が厚生労働省から公表されます。それによると2015年度の概算医療費は過去最高の41.5兆円になるとの事、2014年度の医療費は40.0兆でしたので前年度よりさらに1.5兆の増加になりました。その結果として医療費の抑制が一層声高に謳われています。また医療費増加の原因とされる『高齢者や障害のある方への医療を含めた社会保障の在り方』も同時に議論されます。この様な社会情勢の中で去る7月には神奈川県の障害者施設で殺人事件が起きました。さらに9月下旬には横浜の病院でも高齢者に対する殺人事件が発生したことは記憶に新しい事です。これ等の事件は非常に凶悪な事件であることは間違いない事実ですが、異常者による犯罪として簡単に片付けて良いものでしょうか? 医療に関わる我々は人間の健康そして生命を極めて大切なものであるとの信念に基づき、疾病予防や治療に力を尽くしてきました。また社会正義を掲げ弱い立場にある方々を救済すべく努力しています。然し『検査や治療がどこまで適切であるのかを悩む事』も少なくありません。その理由の大きな部分は『地球の資源が限界に近付き、恒常性の維持が危ぶまれている』からでは無いでしょうか? 2016年現在、地球全体でみると総人口は73億人を超え、地球と言う星の至適人口と言われる40億人を遥かに超えた状態になっています。1960年には30億人であった地球人口はこの50年間で2倍以上に急増した事になります。さらに2050年には97億人となり2100年には100億を超えると予測されています。その結果、食料を初めとして殆ど全ての資源が枯渇した状態となります。そして『限りあるものを求めての諍い』が生じることは必至であり、さらに環境破壊による地球温暖化等の影響で『過去に経験のない災害』も頻発しています。そして戦禍や貧困による難民の急増も大きな問題となっています。既に地球人口の調整が必要であることは多くの方々が認識していると思いますが、真摯な議論は為され難く口を閉ざすのが現状であるかと思います。

 ところで『ダ・ヴィンチ・コード』や『天使と悪魔』を書いた小説家ダン・ブラウンは2013年に『インフェルノ』と言う小説を出版しました。この作品は映画化され、この10月末に公開予定です。その内容は天才的な生化学者が詩人ダンテの叙事詩「神曲」<地獄篇インフェルノ>に隠した暗号をラングトン教授が解き明かして行く内容です。天才科学者は深刻な地球人口増加問題を『このまま何も対策を講じなければ人類は100年後に滅びてしまう』と捉え、その解決策として、『人口を半数に減らす為のウィルス』を生み出しました。そしてダンテが予言した人類の“地獄”の未来図=<地獄篇インフェルノ>になぞり、人口削減計画を実行に移しました。この中で我々人類に突き付けられた課題は『100年後の人類滅亡』を受け入れるか、それとも『人口を半分に減じることで人類を生き残らせる道』を選ぶのか?と言う極めて深刻な選択です。翻って現在我が国では少子化対策が声高に叫ばれています。出産が増えなければ高齢者を支える若い世代が不足する事は事実ですが、地球規模で考えると矛盾が生じることは否めません。

 今年のノーベル医学生理学賞は大隅良典博士が『オートファジー』に関する研究で受賞されました。そしてこの分野は『生命と死』の根幹に関連するものです。ヒトを含む高等生物の個体発生の過程では、一旦分裂によって生じた細胞が自発的に死んでいくことで様々な形態形成が進みます。このときに見られる細胞の死は、その生物が遺伝情報にあらかじめ含んでいる(すなわちプログラムされていた)という意味からプログラム細胞死(Programmed cell death)と呼ばれています。そしてこのプログラムされた細胞死の過程には3型があり1型はアポトーシス、2型はオートファジーを伴う細胞死、3型はネクローシス、に分類されています。アポトーシスは個体をより良い状態に保つために積極的に引き起こされる『管理・調整された細胞の自殺』であり『ダメージを個々の細胞レベルで食い止め、個体の生命を守る』危機管理システムでもあります。この様にアポトーシスは不必要な細胞を除去するシステムとして働き、オートファジーは細胞内の不要なタンパク質を分解し正常な発生に寄与するシステムであると同時に『飢餓時の生存システム』として個体の恒常性維持の為に機能するものです。これ等は感染症や血流障害、物理的破壊・化学的損傷が原因となる『ネクローシスによる死』とは対義的な関係にあります。

 この様に個体が飢餓状態におかれるとアミノ酸の供給が断たれ、細胞にとっては生死に関わる重大なダメージになりますが、オートファジーが働くことによって、細胞は一時的にこのダメージを回避することが可能だと考えられています。然しオートファジーによる栄養飢餓の回避はあくまで一時的なものであり、飢餓状態が長く続いた場合には対処することができません。オートファジーが過度に進行することで、細胞が自分自身を『食べ尽くしてしまい、細胞が死に至る』と考えられています。ところでアポトーシスは15億年前に有性生殖と同時に生まれたシステムです。有性生殖は『遺伝子をランダムに組み換えることで子孫を残すシステム』であり、その過程で不適切な遺伝子の組み合わせを除去する目的で生まれたのがアポトーシスです。そこにオートファジーのシステムも加わり人類としての進化・発達が為されて来たと思います。然しその前提としての『礎となる死』があったことは間違いない事です。人類の進化の流れの中で『死の積極的な意味』も捉え直さなければならない時代になったのかも知れません。現在の『社会保証制度』も十分なプログラムを伴わなければ『国を食べ尽くす』結果を招く可能性があるかと思います。人は必ず死を迎えなければなりません。後に残る人や国、そして地球への負担を軽減し、可能であれば『ネクローシスによる死』では無く、次代に役立つ形でそれを迎えることが出来れば幸いかと思います。


巻頭言 Vol.52 No.5 2016

2016/09/10(土)

巻頭言

安房医師会 会長 小嶋良宏

 梅雨明けの夏真っ盛りの中、仕事を終え10キロほどランニング、エアコンの効いた部屋で、汗をしぼる方が簡単と思いながら無い知恵をしぼってこの巻頭言を書いております。これを読まれる頃は朝夕に涼しい風に乗って鈴虫の歌声を聞くことができることでしょう。

 私、齢57歳、諸先輩から見たならば、まだまだひよっこ、丁稚、鼻たれ小僧と言われそうな年齢ですが、高校時代の同級生に会うと言葉のはしはしに定年後はどうしようか?定年延長するかしないのか、転職するかしないかなど、第二の人生の生き方を模索し悩んでいる会話を多く聞き、世間一般で見るとそのような年齢になったのかと改めて認識いたします。

 定年の話題はさておき、70歳まで足腰が丈夫でかつ大きな持病もなく元気でいられると仮定すると、春の花見、夏のバーベキュー、秋のキャンプ、冬のスキーなどを経験する回数は多くて10回、同様に一生の間にたった一回しか行くことができない観光地や海外、一回しか会えない人物の存在も考えられます。

 この6月から安房医師会理事会は岡田唯男理事を迎え新体制となり、心機一転、理事一丸となりその運営をしていきます。残された任期は2年を切りました。理事会であと何回議論ができるでしょうか。

 残りの理事会の回数は40数回、総会はあと4回開催しましたら任期終了となってしまいます。

 これからの理事会を大切にし、会員のため、地域医療を守るため、おこがましいですが後を担う理事を育て、悔いのないよう職務を執行いたします。

 私には定年が決められている訳では無いですが、引き際が肝心、自分一人でで考え、決定し実行、静かにfade outすることができれば幸いです。


巻頭言 Vol.52 No.4 2016

2016/07/10(日)

巻頭言

安房医師会 会長 小嶋良宏

 梅雨の時期、まるで夏のような日差しと、言葉通りの梅雨空と目まぐるしく変化している日々ですが、心は梅雨空のように少々暗い日々が続いています。もちろん心明るくなる話題もあります。

 会員の方々は最近の千葉県医師会雑誌を読まれ、事の成り行きに多少なりとも疑念を感じているかもしれません。

 ここで説明をいたします。

 昨年の秋、県医師会より財務委員会の委員を推薦するよう安房医師会あてに依頼が来たため理事会にて審議し、適任と考えた理事を推薦しました。県医師会理事会にて審議した結果、財務委員にふさわしくなく推薦は却下すると返事がきました。ふさわしくない理由が3点ほど記載してありましたが、その理由に納得できかねて今回のような県医師会雑誌のような内容となりました。

 県医師会会長会議の席上、その理由の説明と撤回を求める発言をしましたが返事がなく、仕方なく内容証明を県医師会に郵送しました。

 3月の臨時総会にても、その説明を求めたところやっと県医師会から返事が届きました。その内容とは、県医師会理事会にて再審議したがやはり財務委員にはふさわしくないと、こちらの要求通りにはなりませんでした。

 安房医師会としては、言うべきこと、やるべきことを全て実行した結果ですし、県医師会理事会の決定には従わざるを得ませんが、こちらが100%納得したかといえばそうではありません。この先、県医師会の決定を不服とし、安房医師会があれこれと行動を悪戯に起こし、仲違いを続けてもお互いにいいことは全くもってありません。

 会長として、この先どうしたらいいのでしょうか?

 今できるであろうことは、県医師会の理事、議長、監事、職員の方々とさらに太いパイプを作り交流、互いの信頼関係を築き、二度とこのようなことが起こらないようにするほかありません。

 この先2年を費やし、さすが安房医師会と言われるような体制や交流関係を構築するほかはないと考え、決意を新たに理事一丸となって職務を全う致します。

 かねてからの新医師会館の件です。新しく建設すると今まで述べてきましたが、建設という文言の解釈には、建物を新しく建設すると言う解釈と、医師会館という存在を新しく造るという解釈も存在します。存在を新しく造るにはどうしたらいいでしょう?新しく建物を造らないで、どこかの施設に間借りしても医師会館を造ると言うことになります。

 確かに財政的には新しく建物を作るには巨額な資産を要しますし、維持管理費もかなりの額になることでしょう。安房医師会の財政を考えるに建物を新たに建設するよりも、行政、その他から建物を間借りした方が資金が少なくて済みます。今後は新しく建設するのかまたは間借りか、この両面で検討していきます。今まさに新会館に関する趣意書を書いている途中です。完成しましたら、会員の方々や行政、関連団体にも配布し説明、5年後をめどに新医師会館に移転したい考えます。

 

 


巻頭言 Vol.52 No.3 2016

2016/05/11(水)

「 地域医療 」

安房医師会副会長 竹内 信一

今回、地域医療に思いをはせ、考えてみました。
4月からの診療報酬改定、医療圏の問題、人口減少・少子高齢化など今後の地域医療は、崩壊の危機にさらされていると思える今日この頃です。皆さんは知ってか知らずか判りませんが、更にこの問題に負の影響を与えると考えられるのが2017年度から変わる医師の専門医制度です。その内容は、従来の2年間の初期臨床研修に加え、内科や外科といった基本領域からの一つを選び、さらに3年間の研修を受けるということで、この制度変更で特に影響を受けているのは地域医療に必要な内科だと思います。新制度では循環器内科や呼吸器内科などの専門的なトレーニングを始めるのは早くとも30歳、研修を終えるのは30歳半ば以降になり実質的に専門医が減ることになります。総合診療医を増やそうとする国の施策の思うつぼではありますが、浅い知識、技術の医者が増える可能性があると思うのは考えすぎでしょうか。
さらに新制度は地域にも大きな打撃を与える可能性があります。今まで主に大学病院は研究、国公立・民間病院が地域医療を担い、若い医者の多くは後者での研修を希望してきました。ところが新制度では、大学病院などでしか治療していないようなまれな疾患も全員が経験するよう求められています。そのため、民間病院の多くは大学病院と連携することになり、研修を受ける医師は大学病院でも一定期間の勤務を求められるので地域医療への影響は必至と思います。
では今後、地域医療の再生はないのでしょうか?再生の道は、地域医療のパラダイム・シフトを促す「生活を診る」病院、診療所などの創造ではないのでしょうか。従来、急性期医療こそが「医療の主役である」という風潮が強く、「生活を診る」という医療の原点を軽視してきた結果だと思います。従って、この視点からの総合診療医の育成は急務です。さらに、今後は急性期病院と在宅医療の中間に位置して両者をつなぎ、患者さんを生活に戻すため「人を診ること」に集中する医療提供が必要で、その中心となるのが地域包括ケアシステムと思われ医師会もその観点から、積極的に関与することが求められているので私ももうしばらくは医師会活動に携わっていきたいと思っている今日この頃で、一医師のつぶやきです。


巻頭言 Vol.52 No.2 2016

2016/03/10(木)

「 安房風 」 

                          安房医師会理事 田中 かつら

 安房医師会理事になってまだ日が浅い私が、巻頭言を任せられるのは少し場違いではないかという感は、この医師会ニュースを読まれるどの方も感じていらっしゃるだろう。当の私がそうであるからだ。諸先輩方の文章力に感心し、さて自分は何を表現できるだろうか。思いつくままの散文をご容赦願いたい。
 
私はこの安房地区(正確には南房総市千倉町)に居住するようになり10年が経った。この地には地縁もなく、生まれ育った東京、目黒より東に住むことは全く考えもしなかった。しかし何か引き寄せられる魅力があったと信じている。それまでいろいろな土地を旅し、その地の文化を知ることが楽しみでもあった。その地の魅力とは何か?旅人が興味を持つのは、その地に長く培われた文化、大切に守られた芸能であり、風習、技術である。その奥深さを知るには、その土地の人々の生活を知らなければならない。今の時代まで引き継ぐことができたというそのことが、今の文化を形作っている。そして、その土地の人々がその文化を「楽しんでいる」ということ。旅人はそれを少し外側から窺うことが楽しみなのである。
 どこの地に行っても、旅行客を呼び込もうと、旅行者向けのいわゆる箱物が多い。なぜここにヨーロッパの村があるのか?どうしてここに南国の島なのか?中に入るとやはりどこも同じ土産屋が並ぶ。旅行者に向いた観光は少しの魅力もない。一度行けば十分である。いや、行く意味があるのか?と疑問である。なぜなら、それはあくまでも模倣であり、地の文化を象徴するものではない。もてなしは必要だが、観光客に媚びる文化はすぐ飽きられるのは当然である。「○○風」「南国の○○」は偽物であることを知らなくてはいけない。
 私は「移住組」である。安房の文化は学ばなくては知り得ない。この地の文化は私のDNAには組み込まれていない。しかし、よそ者だからこそ、この地の魅力は人一倍感じることができると自負している。こんなに素晴らしい自然と人々が存在しているのに、地の人は「この土地にはいいことがない」「ここでは苦労するだけだ」と話す。これでは、子供や孫がこの土地を離れてしまうのも仕方がないと思う。魅力ある土地であることをどうやってわかってもらえるだろうか?こんなよそ者を実は温かく迎え入れてくれる心優しい人々がいて、自然からの恵みを豊かに受けられ、時に厳しい自然にさらされる環境で、互助が当たり前にある土地である。新しいことは必要ない、今の魅力に皆が気付くことで、この地の大きな力になると感じている。
 地域包括ケアシステム構築をと叫ばれ、三市一町はそれぞれどうやって形あるものにするのか、現在進行中である。安房医師会もその構築にどうかかわるべきか?まだ手探りの状態である。私のような移住組から見ると、この安房ではもうすでにこのシステムはできているのではないか?と感じる。行政や医療や介護や福祉の方々とはとても近い存在で、何かあるといつでも話ができる関係がすでに存在している。それを目に見える形にするだけである。何か足りないとすれば、縦割りの行政単位を超えること。これを横につなぐことができるのは、安房医師会の役割ではないかと考える。システムの一部でもある医療は、安房地域全体を考えないと成り立たないからである。全国各地でこのシステム作りでは、いろいろな取り組みがなされているが、それぞれに特徴がある。しかし、それを真似ることはできない。その土地に培われた文化があるから、同じシステムはない。そこで「安房風」システム構築が必要なのである。この土地で暮らす誰もが、同じ地で安心して暮らせるために、困ったら、みんなで解決できる場を作る。ここで生まれ育った人がいて、その人を知る周りの人々がいるからこそ、一緒に考えることができる。それが自然にできる地のつながりが、ここにはすでに存在している。都会のようなところではきっと考えられないことだ。
 なにか象徴的な形が必要とあれば、こんな一案もある。新医師会館建設をこの地域包括ケアシステムと関連づけて考えられないかと思っている。会館建設の是非については、まだ会員の承認を待つ段階であるが、単なる医師会館という単独のものではなく、行政、歯科医師会や薬剤師会、ケアマネジャー連絡会など多職種が一同に介する場があれば、ここに来れば誰かがなにか知恵を出せるという「安房風合同庁舎」ができないだろうか?ワンストップで問題解決ができるのではないか?ハードの問題で全て解決できるわけではないが、すでによい連携がある安房地区だからこそ考えられることでもある。どこかの真似ではなく、「安房風」という独自の発想で、この土地の良さを多くの人とともに楽しみたい。