巻頭言 Vol.52 No.1 2016
年頭所感
安房医師会長 小嶋良宏
2016年もつつがなく明け、新年の抱負や期待に胸を膨らませ、楽しい計画に心躍らせ正月を過ごされたことでしょうが、いつの間にか松飾りはその役目を終え、普段通りの生活がもどってきた頃かと思います。
お屠蘇気分はさっそく引退させ、本題に入ります。
数年前より、3月の総会の事業計画案総論をこの新年号に書くこととしてきました。今回は2項目、どちらも過去に巻頭言に書いた事があり、児童、生徒の健康に関する内容です。
ここ数十年間、耳鼻咽喉科、眼科の新規開業は全くなく、その開業医数は10名を切っています。この少人数で3市1町の幼稚園、小中学校、高校の健康診断をしているのが実状です。医師会会員にも高齢化の波が押し寄せてきており、最近、ご高齢の会員の方が校医を辞退され、新たに公募しました。
今後、耳鼻咽喉科、眼科の校医が不足する懸念が多大にあります。
教育委員会にもこの医師会ニュースは届けてあることより、委員の方々の頭の片隅には将来の校医不足の認識はあるかと思います。この解決方法を考えるに、まずは市町の境界を超え専門医が協力する必要があります。
また、近隣の大病院の院長、各科医師にお願いし、新たに校医になっていただく方法や、ちば県民保険予防財団に委託するという方法もあります。
本年度はこの懸念を各機関と議論し、解決方法を考えていきます。
数年前、某会員から学校保健について意見がありました。健康診断を実施せず、父兄や児童、生徒へ眼科領域の内容、例えば視力維持の意味、衛生、外傷時の対応、疾病のことなどを教育、啓蒙、また養護教諭対象には視力測定などの研修をしたらどうかという提案でした。法律で決められている健康診断は実施しないわけにはいきません。その後理事会で審議し、眼科領域だけにとらわれず、この提案を広い意味としての健康教育と捉え、教育委員会と会合を持ちましたが未だかつて実行されていません。
この提案を実行するためには幾多の問題を解決しなければなりません。
私見を下記に列挙します。
1、教育、啓蒙の内容であるが内科、整形外科、耳鼻科、産婦人科、その他の領域まで広げるのか否か。
2、講師をどうするのか?
3、3市1町の教育委員会と協議をするのかどうか?特定の教育委員会とだけ協議するのか否か?
4、同じく3市1町の全小学校、全中学校を対象とするのか否か?特定の学校を対象とするのか否か?
5、対象学年はどうするのか?
6、単年度とするのか?継続するのか否か?
その他、市民公開医学講座のように大きな会場で安房地域の児童、生徒、父兄、教諭を集めて実施するという方法も考えられます。再度理事会で審議し、問題を再考、論点を整理し、教育委員会と会合、実施に向け協議していきます。
残された任期は6ヶ月となりました。理事一丸となって将来を見据えた医師会運営を実施していきます。
巻頭言 Vol.51 No.6 2015
希望と諦め、できれば never ending
安房医師会副会長 原 徹
NHKの朝ドラ『まれ』が9月で終わりました。『地道にコツコツ』進む人生とリスクを負って『大きな夢を追う』人生はどちらが良いのか? 朝のドラマなので“明るく前向きに”と言う内容、即ち『地道』も『夢』を追うのもどちらもpositiveな姿勢であり、また能登の地域での住民の連携、地域社会の在り方など同じ“半島の先”に住む者としては参考になるので毎回楽しみにしていました。今回は“まれ”の父親の名前が“徹”であり、自分でも毎日叱咤激励されている様な気分でしたが、最後まで父親としての在り様が見えない結末、また何とか現在社会のnegativeな閉塞感を払拭できないか?との淡い期待に対しては若干不満が残ってしまいました。翻って安房の地域を見ると夢を掲げ、新たに事業創設している事例は稀で、一方地道にコツコツも儘ならず、規模の縮小や廃業を余儀なくされている方が多いのが実状かと思います。それでも“元治”さんのつくる塩の様に理解され、評価されれば立派な仕事として継続できる!! そう思って頑張って仕事を続けている方も沢山居られます。ところが一方では夢が叶わず『閉塞感に苛まれ虚無の世界に引きずり込まれている』方々や、『初めから夢を持てない』若者が増えているのも現実です。
思い返すと1970年の日本レコード大賞・歌唱賞は、岸洋子さんの歌った『希望』でした。
その歌詞をおさらいすると
「希望という名の あなたをたずねて 遠い国へと また汽車にのる
あなたは昔の あたしの思い出 ふるさとの夢 はじめての恋
けれどあたしが大人になった日に 黙ってどこかへ 立ち去ったあなた
いつかあなたに また逢うまでは あたしの旅は 終わりのない旅」
大人になると夢が黙って何処かへ行ってしまう。それでも諦めずに人生と言う旅を続ける。貪欲と批判されても夢や希望を捨てない。そんな気持ちが込められた歌であると思います。この“意地を張っている、プライドが高い”と言われても諦めずに前に進む人間の性が高度成長期の我が国には色濃くあったと思います。そして当時は社会の問題を考えようとするとき、その前提として明確な希望・目標があったかと思います。希望は欲望や目的でもあり、その達成に向かって社会生活での消費・学業・就業そして家族の協力などが行なわれていた時代でした。しかしその前提自体が揺らいでいます。『失われた10年』と呼ばれた時代もとうに過ぎたのに、今でも『社会を覆う閉塞感』を打破することができていません。そしてこの閉塞感の根源には『希望の喪失』という深い闇が潜んでいる事に、多くの方が気付いています。
進歩、発展、成長、そんな言葉を信じられる時代には個々が何を欲し、何を目的として生きているのか、そして社会がどこに向かっているのかの具体的な希望が見えていました。しかし現在ではそのような想定が失われつつあるのです。
Die unendliche Geschichte、ドイツの児童文学作家のミヒャエル・エンデ(Michael Ende )の書いた物語はネバーエンディング・ストーリーとして84年に映画化され、ご覧になった方も多いと思います。虚無(The nothing)により不思議な異世界「ファンタージェン」は崩壊の危機に瀕しました。これを救うのは『希望を持つ勇気』ではなかったでしょうか? そして虚無の世界は今日も確実に拡大しています。若者には大いに夢と希望を持って欲しいと思います。そして大人も夢と希望を忘れずにと願っています。但し年を経るごとに出来れば私的な夢から公的な夢に、徐々にシフトして欲しいと個人的には願っています。
終わりに“希望”の歌詞、2番と3番を載せ、私の果てしの無い夢は続きます。
「希望という名の あなたをたずねて 今日もあてなく また汽車にのる
あれからあたしは ただ一人きり 明日はどんな町につくやら
あなたのうわさも 時折り聞くけど 見知らぬ誰かに すれちがうだけ
いつもあなたの 名を呼びながら あたしの旅は 返事のない旅」
「希望という名の あなたをたずねて 寒い夜更けに また汽車にのる
悲しみだけが あたしの道連れ となりの席に あなたがいれば
涙ぐむとき そのとき聞こえる 希望という名の あなたのあの唄
そうよあなたに また逢うために あたしの旅は いままた始まる」
(『希望』作詞:藤田俊雄 作曲:いずみたく)
巻頭言 Vol.51 No.5 2015
真夏の夜の夢
安房医師会長 小嶋良宏
その日は2020年秋、東京オリンピックは成功裏に終わり、日本のみならず、世界中の人々がメダル獲得数に酔いしれている台風上陸前の1日。その興奮冷めやらない人々とはまるで正反対、胃潰瘍悪化一歩手前の7名のつらい火曜日。朝から豪雨と強風が吹き荒れる夕刻6時、千葉県安房医師会理事会開催が危ぶまれたが、交通機関には支障は無く定刻通り開催された。
出席理事の総数は7名。毎年会員数は減少、理事の引き受け手も少なく、その都度定款細則を改定し、今や理事定数は以前の半数程度となってしまった。皆の表情は暗く、覇気も無く、あきらめの境地の見本市のようであった。総務担当理事が事務的に開催の口火を切り、会長挨拶、報告事項と重苦しい雰囲気の中、議事は進行された。その日、会長専権事項である審議事項は3項目と少なかったが、安房医師会の将来を決める重要な案件であった。
1項目目、南房総市教育委員会から、来年度の児童、生徒の健康診断をするために、医師会より耳鼻科医、眼科医師の推薦をして欲しいとの要望であった。少子高齢化に伴い、児童数、生徒数は激減、その結果、統廃合が進み、学校数が減少したため、例年ならば耳鼻科医、眼科医の必要最低限の医師は確保できていたのであるが、高齢化は開業医にも襲いかかっていた。市内の医師の高齢化が進み学校医辞退の申し出が多数、また新規開業の医師はゼロであった。数年前より、教育委員会に将来医師を確保できなくなる可能性があるので、準備をするよう進言してきたが、まさか本当にゼロになると考えておらず、その対策もゼロであった。いつもなら活発な討論がなされるはずであったが、推薦できる医師がいないため、教育委員会にはその推薦は不可能であり、館山市、鴨川市の医師の手を借りる他に方法はないと決議された。しかしながらどの市も医師数は激減していることは言うまでもない。
2番目の審議事項は来年度の予算編成案についてであった。例年ならば、1月の理事会にて審議するのであるが、予算編成不可能と税理士から報告があったため早めの審議となった。ここ数年、会費収入は極端に減り、医師会の維持、運営は数年前より綱渡り状態であったが、なんとか資産をやりくりし低空飛行でもちこたえていたが、収入と支出のバランスはまるでTotenkreuzのごとくであった。協力金や補助金の増額の要望を再三再四申し出ていたが色よい返事は得られなかった。銀行融資を考えてみたが、返済する原資も無く、たとえ今年融資実行されても、来年には借金を返すために新たな借金をすることになるであろうことは火を見るより明らかであった。八方塞がりとは良く言ったものである。審議することも無く執行部一任となった。
最後は安房医師会の解散および他医師会と合併をするのかどうかの審議であった。
会員数激減に伴う収入の減少が続けばいずれ医師会運営は不可能になる事を予想、数年前より事あるごとに顧問会に相談、総会の度に会員に説明、将来他医師会と合併する事になるかもしれないと唱えてきたが、とうとう理事会で最終決断することとなった。
安房医師会という名称を残したい気持ちはあるが、審議事項2が上程された今、破綻する前に他医師会と合併する他に選択肢はないのであろうか?どの理事からも意見は無く、いたずらに時間ばかり経過、会長一任と決議され、臨時総会を一月後に開催予定と口頭で締めくくり、理事会を終了。
外は嵐の前の静けさであろうか、雨風は弱まってきたと感じた頃、朝のアラームが鳴り、真夏の夜の夢から覚めた。
巻頭言 Vol.51 No.4 2015
安房地域医療センターの今後
安房医師会理事 西野 洋
安房医師会病院が社会福祉法人太陽会に移譲され、安房地域医療センターとして再出発したのが7年前で、私が亀田総合病院から安房地域医療センターへ赴任して早くも5年が経過しました。この間、亀田信介理事長、水谷正彦院長を中心として職員一同努力してきました。地域のニーズに応えて、質の高い医療・福祉サービスを充分量提供するために、救急センターの増築、臨床研修病院の認定、ISO9001の認証、日本病院機能評価の認定、中核地域支援センターの配置や無料低額診療の開始、安房医療福祉専門学校の開学などを行ってきました。最近では、フローレンスガーデンハイツという独居老人向け高齢者住宅の取り組みも始めました。
今後、太陽会が館山南房総地区において、安房地域医療センターを中心として、どのような事業展開を進めるべきか、いろいろとbrain stormingを行う機会がありました。そこで出た様々な意見は大きく4つの柱(W・E・E・P)に集約されました。
「W」はWelfare=社会福祉です。総合相談センターと中核地域支援センターが窓口となり、無料低額診療、フローレンスガーデンハイツなど、経済的・社会的に困難な方々への医療・介護・福祉面での支援を積極的に行ってゆきます。「E」はEmergency=救急医療です。今後も24時間365日の救急医療や急性期入院診療のさらなる拡充を目指し、地域の大規模災害への準備をしつつ、病院の理念である「明るい笑顔で最適な医療を提供する」べく努力をいたします。もう一つの「E」はEducation=教育です。地域医療の現場で地域医療を担う医師を育む地域ジェネラリストプログラムという初期研修プログラムと、地域ホスピタリストプログラムという後期研修プログラムを継続・発展させてゆきます。また看護師の卒前・卒後教育を推進してゆきます。今後も、地域の医療・介護・福祉を担う人材育成に力を注ぎます。そして、最後の「P」はPrevention & Promotion=疾病予防と健康増進です。従来行ってきた住民検診に加えて、今後は健康増進にも力を注ぎます。すでに職員有志がボランティアで日曜日を利用して一般市民向けに健康増進を図るAWAカフェプロジェクトが始まっています。今後はP & Pをさらに充実させてゆきます。
これら4つの頭文字「WEEP」は、英語で「涙する」という意味です。社会福祉法人太陽会では、医療・福祉・介護・教育事業部門が連携をとりながら、身体的、精神的、経済的、社会的に涙する人びとに寄り添う活動を展開してゆきたいものだと願っています。このような活動は、太陽会単独でなし得るものではありません。安房医師会の先生方との連携を密にしながら、行政や地域住民と対話しながら進めてゆきたいと考えています。
巻頭言 Vol.51 No.3 2015
『巻頭言』
学校保健担当理事 林 宗寛
道ゆけば路地の角、あるいは屋根瓦の上などに、散った桜の花びらが残っているのを目にします。何となく人生のはかなさを感じる反面、美しい国、日本に生まれてよかったなと思う今日この頃です。
思えば二年前の六月、二度目の安房医師会理事を拝命いたし今日に至っております。他の皆様に遅れを取るまいと、ひたすら暗中模索の状態でやってまいりましたが、ふと気づくともうじき任期満了です。今思うと、あっという間だった感があります。不束にして至らぬ点も多く、会員の皆様にはご迷惑をおかけした事を申し訳なく思っておりますが、あとしばらく頑張りますのでご容赦願います。
自分は学校保健担当理事です。学童の保健、健康に対する行政との関わりや折衝は苦労もあるものの、医師とは違った立場の方々とのふれ合いを通じて新しい観点の発見や驚きなど、興味深いものも多々ありました。中でも印象深いのは小児メタボリックシンドローム健診指針の再検討の仕事でした。小児メタボリックシンドローム健診に関しては、現在のところエビデンスのしっかりしたガイドラインが確立しておらず、かなり古い判断基準での健診が行われておりました。そこで、実情にマッチした基準を策定すべく、小児科医を中心としたチームを作り、会議を重ねて新基準を作成いたしました。昨年、安房郡市四行政と擦り合わせを行い、来年度からの実施を念頭に検討中です。実情に即した施行可能なものができたのではないかと思っておりますが、後任の理事にしっかりと引き継いでいきます。
安房医師会の現在の明るい、前進すべき話題としては新医師会館の創設(可能か? または間借り?)、およびホームページのリニューアルがあげられます。両者とも実行グループを立ち上げ、前向きの姿勢で検討中です。ホームページに関しては具体的かつ着々と進捗しております。新医師会館については未だに「?」の状態ですが、鋭意進行中です。
我が医師会も永い歴史を誇り、地域住民のためにも今後ますますの発展が望まれます。理事を退いた後にも、我が医師会を愛する気持ちは変わらず持ち続けます。今後とも皆で頑張っていきましょう。
巻頭言 Vol.51 No.2 2015 予防接種における医療事故防止に向けて
地域医療・災害救急医療担当理事 野崎 益司
誠に残念なことであるが、医療機関におけるワクチンの誤接種(予防接種実施規則に反する事例)が後を絶たない。安房医師会では昨年、接種事故防止対策の一環としてワクチン接種に関するリスクマネージメントに詳しい専門家を招聘し、医師、看護師および医療事務員を対象に講習会を開催するとともに、すべての会員へ講習会で使用した事故防止ろうかという疑問を抱くのは至極当然のことである。現在我が国では異なる2種のワクチンを同時以外に接種する場合、初回が
不活化ワクチンなら6日以上、また生ワクチンの場合には27 日の間隔をあけて次のワクチンを接種することが義務付けられている。この日数設定の根拠は、副反応の出現時期が不活化の場合は1週間以内に、また注射生ワクチンの場合は接種後4週間までに出現しやすいので、その間は他のワクチン接種を控えた方がいいだろうという考え方に基づいている。しかし副反応らしき症状が発現している子供に対し、何のためらいもなく次のワクチンを接種する医者が果たして存在するだろうか。またその期間内に異種ワクチンを接種し、もしも何らかの副反応が生じた場合、どちらのワクチンが原因となっているのか判らなくなるというのも根拠の一つとなっているらしいが、この理屈からすると混合ワクチンや異種ワクチンの同時接種など到底あり得ないということになってしまう。とくに現行の同時接種は厳密には接種間隔が最も短い異種ワクチンの接種であることから、それを認可するためには異種ワクチン接種間隔の規定解除が前提でなければ全く理にそぐわないことになってしまう。 このような現状を鑑み、日本小児科学会は平成24 年9月付けで当時の厚労大臣であった小宮山洋子氏に対し、異なるワクチンの接種間隔変更に関する要望書を提出している。その中で同学会は、注射生ワクチン接種後、次の注射生ワクチン接種までの間隔は従来通りの27 日とする一方で、その他の接種間隔には制限を与えるべきでないと主張している。参考までに、米国においては疾病予防対策センター(CDC)の接種間隔規定を採用しており、これによると同一のワクチン接種または注射生ワクチン同士の接種以外においては接種間隔を制限する必要はないとしている。英国をはじめ、すでに多くの国でこのCDC の規定が採用されており、これが現在の世界基準になっていると考えるべきであろう。
予防接種の効果と安全性を確保するために実施規則の設定が必須であることは言うに及ばない。しかし異種ワクチンの接種間隔に関する規則は単に接種スケジュールを複雑にしているだけであり、多忙な外来業務の中ではそれが医療側に負担(ストレス)になっていることは間違いない。また異種ワクチンの同時接種を勧める際、この規則の存在下で安全性を説明するのは事実上不可能である。一方子供たちの側においても、接種日がインフルエンザの流行期に重なるなど、定期または任意接種を受ける機会を失っている子供の数は決して少なくないはずである。いずれにしても、この規則に関しては負の側面しか見えてこないというのが多くの医師の感ずるところであろう。
最後に、現時点におけるワクチン接種は現行の予防接種実施法に従って粛々と履行すべきものであり、たとえ無意味だと判っていても確信犯張りにこの規則に反する行為は厳に慎むべきである。その上で、医師会という組織を通じ、国に対して予防接種実施規則の見直しを要望することが肝要であり、結果的にはそれが真の接種事故に対する最も有効な防止手段となり得るのではないだろうか。
巻頭言 Vol.51 No.1 2015 新春初感
安房医師会会長 小嶋 良宏
松の内の賑わいも過ぎましたが寒気まだまだ激しく、植物の新芽が出揃い、春の息吹を感じるにはまだまだ早いようです。あとひと月もするとゲレンデのリフトからふと下を覗けば、小さな蕗の薹を見ることができるでしょう。
医師会ニュース新年号に記載する来年度の事業計画の総論案もこれで2 回目となりました。昨年度の事業も引き続き継続し、内容の充実を図る所存です。
1、在宅医療関連について
2025 年問題に関しては数年前からマスコミその他で報じられ広く知られていることです。また、この安房地域においては、働き場所の減少などにより生産年齢人口の低下に伴い、少子高齢化は顕著に進行し2033 年には限界集落になるとの予想もあります。
このような社会現象に伴い、独居老人や社会的弱者は通院医療、入院医療に支障をきたし、今後ますます在宅医療の必要性、重要度は増します。
昨年度は、理事会内部での在宅医療関連の勉強会を開催、行政とは協議を重ね館山市新井地区をモデルケースにした地域包括ケアー会議に協力、さらには老人保健施設の責任者とも会合を持ち、医師会として今後どのように協力していくのかを話し合いました。
まだまだ手探りの状態ですが、何をどのように医師会として関わっていくのか議論を重ね、今後の10 年間は在宅医療関連については重要課題とし、行政や関連施設と継続して協力していく所存です。
2、新医師会館について
旧医師会病院を委譲した後、数回の引越しを経て、現在は会員の好意により現在の場所に移転してきました。その好意にいつまでも甘える訳にもいきませんので、いつかはこの場所を離れる必要性があります。理事会にて再三再四議論を重ね、新医師会館建設検討委員会を昨年11 月に発足しました。この会の趣旨は、新医師会館を建設可能か否かを検討する委員会であり、決して新医師会館を建設することが先に決まっているわけではありません。委員会からの答申期限は5 月とし、建設可能であれ不可能であれ理事会にてさらに審議し、6月の総会には上程予定としています。
3、学校保健について
昨年、会員の方から学校保健についての意見をいただきました。その要望は、今行っている健診について考え直すこと、さらには視力維持の意味、衛生管理、事故時の対応、疾患の話、目の不自由な方への接し方などを教育、啓蒙、また、養護教諭に対しての視力測定などの研修をしたらどうかという提案でした。
毎年春に会員の協力のもと幼小中学校、高校の健診を行っておりますが、この健診については法律で決められていることですのでそれを実施しない訳にはいきません。
今回の意見は眼科領域に関してだけでありましたが、内科、耳鼻咽喉科、泌尿器科、婦人科や整形外科など多くの診療科に共通する事柄です。児童生徒の健康を守っていくことは当然のことであり、眼科領域だけにとらわれず、今回の意見を広い意味としての健康教育としてとらえ、引き続き教育委員会と実施に向けての問題点や方法などを協議していきます。
上記3 点以外にも看護師不足対策、予防接種関連など数多くの問題を抱えているのが現状です。理事会にて粛々と審議し、5 年先、10 年先をも見据え地域住民、医師会のために使命を尽くす所存です。
この巻頭言は加筆、訂正をしたのち、3月の総会での事業報告総論案として提出いたします。
巻頭言 Vol.50 No.6 2014
安房医師会副会長 竹内 信一
昨今の日本はどうなっているのでしょうか?デング熱の集団発症(秋口になり終息していますが)、セアカゴケグモの集団発生、また、この夏の猛暑、ゲリラ豪雨、さらに最近の戦後最大の火山災害といわれる御嶽山の噴火です。日本人は再び平和ボケし、傲慢にも自然に対する畏敬の念を忘れてしまったのでしょうか。
一方、医師会員である我々や医師会にとって重要な問題である医療や介護はどうなっているのでしょうか?国は盛んに2025年問題(私もその一人ですが)、団塊の世代が後期高齢者になる時に抜本的な医療、介護改革を進めようとしています。内容は医療費制御など国民に犠牲を強いる厳しいものとなっているようです。現実はどうかというと、少子高齢化は益々進み、地方の疲弊は急速に進行しています。こういう時だからこそ、医師会の役割、医師会員の結束が重要となっていくのではないでしょうか?
私は館山に単身赴任して約12年、地域医療に携わり、医師会の理事としても3期になり、会員の皆様方と努力してきたつもりです。では、今後はどうしていったらいいのでしょうか?安房地域の人達は少子高齢化といった現実を認識した上で、この地域を愛しているのではないでしょうか。こういう意識を持った人々が暮らす地域だからこそ、医師会が関与、貢献できる機会が益々増えると信じるようになっている今日この頃です。では、具体的にはどう進めていったらいいのでしょうか?その一つが現在小嶋会長が提唱している在宅医療への積極的な関与だと思います。そのためには、病診連携、疾病連携はもちろん、介護現場、行政、市民と手を携えて進めていく必要があるでしょう。また、積極的に住民、行政に対する医療、介護に対する認識、啓蒙活動も重要な医師会の施策になると思います。
こういう時に、タイムリーに七浦診療所の田中かつら先生、安房地域医療センターの西野洋先生を中心とした市民フォーラムで、「あなたの最後はどう迎えたいですか?」というテーマで行なったことは大切なことでした。今後もこういったテーマを含めた市民を巻き込んだ議論に医師会は積極的に関与していくべきだと痛感しています。今後、くどいようですが少子高齢化が益々、進んでゆくこの地域において医師会の存在意義が問われていくのは当然でありますが、私は会員それぞれが地域医療についての思いを一つにし結束してゆけば少しずつ必ずしも明るいとは思いませんが進んでゆくと信じています。皆さん、牛歩の一歩でもいいではありませんか、頑張ってゆきましょう。
吉田松陰の言葉に、「志定まれば、気盛んなり」とあります。「やるべきことが明確になりさえすれば、あとは馬車馬のようになって実行する」という意味ですが、これからも微力ではありますが、医師会活動に参加してゆくつもりですので何卒よろしくお願いいたします。
巻頭言 Vol.50 No.5 2014
安房医師会理事 原 徹
このたび8年余に及んだ千葉県医師会の役員を退き『安房での生活』に集中することになりました。
任期中、安房医療圏の皆様には多大な御迷惑をお掛けしたことをお詫びすると共に、地域から強く支えて戴いた事を心から感謝いたします。振り返ってみると、安房医師会の基盤であり、誇りでもあった旧安房医師会病院の運営委譲、地域医療再生基金への対応、医師会組織の新法人への移行、それに伴う県医師会新会館の建設・組織改編、さらには東日本大震災の発生と激動の時期であったかと思います。特に旧医師会病院への対応は安房地域内だけでは到底解決できるものでは無く、外部からの評価ならびに指導を仰ぐことで、問題解決への最終的な対応が定まりました。当時の宮川安房医師会長の下、『病院機能を損ねる事なく運営主体を委譲する』決断を行い、多くの方々の御理解・御支援を得られた事、また太陽会・鉄蕉会の大局的な御判断・御協力、そして何よりも旧病院職員の皆様方が地域医療の維持・確保に対し、献身的に御理解して戴いたからこそ達成できたものであり、これにより安房地域の医療提供体制を維持し護ることができました。当時は全国的に地域医療が急激に崩壊し始めた時期に重なり、社会不安や不満が大きく膨らみ、各地でも様々な取り組み・施策が行なわれました。しかし多くの事例では『意見の対立』が生じ、『遺恨を残した』事例が少なくないことも学んできました。翻って医療の現場では常に『診断=判断』を求められ、それに基づく『治療=実行』を行っています。そして人間は、実行に移すにはもう一つの重要なプロセスが必要になります。即ち、『解釈』と言う極めて特異的な過程を踏み、自身の中で『納得』することが必要である事かと思います。『判断』は動物でも行うことですが、様々な理由や理屈を加え『解釈・納得』するのは人間だけでは無いでしょうか?厄介な事に『解釈』はさらに『感情』と言う鎧を纏い、揺るぎないものとなります。この『解釈』の差で意見が対立し、宗教界でも同一教義に対する解釈の差が納得できず、宗教戦争まで招いたことは歴史を顧みれば明らかなことです。この人間の特技たる『解釈』の部分が実に複雑であり、情報化社会の中では、時に巧みに操作誘導され、また個々の知識・経験・能力等によっても様々な形に変貌します。この『解釈の多様化』が人間社会の様々な対立(コンフリクト)を生じていると考えます。
『地域医療』の定義は『医療従事者が地域の住民に働きかけ、疾病の予防や健康の維持・増進のために活動する事』そしてその特徴としては『地域の行政や住民組織と連携・協力して進めて行くこと』であると思います。そして地域医療の主体者は『住民』、『行政』、そして提供者としての『医療従事者』の三者であると理解しています。私のこれまで経験した地域医療崩壊を振り返ってみると、それぞれの主体者が『心=規範・志』を支えるための『技=組織・システム』が十分機能せず、さらに『体=資金・人材』も不足した状況に陥り、三者間のみでなく各主体者内部での『解釈の違い』が生じ、充分な対話も成立しないまま、責任転嫁・対立が始まり、結果『解決への希望』が断たれた現場医療従事者の立ち去りと、関係者の諦めが拡大、その結果として地域医療が崩壊してきたものと思います。さらに悪循環が起こり、医療機関は競争原理の下で運営維持のため公的医療の解釈を曲げ、従事者の労働環境を犠牲にしてまで、患者さんへのサービス向上に努めざるを得なくなりました。一方、患者さん側にとってはサービス競争の中に複数の医療機関がある為、サービスが気に入らなければ不満やクレームを残し他の医療機関に移り、『批判と不満の対象としての医療』が論じられる様になりました。そしていつの間にか『直ぐに診断がつき、治ることが当たり前』と言う、『医療への過剰な期待と異様な権利意識』が育ってしまいました。この状態を正常化するには『住民』、『行政』、そして『医療従事者』の主体者同士が胸襟を開き、『解釈を共有する』為に対話の場も持つことが喫緊の課題であると考えます。TPPや原発、国家間の軋轢など世の中には重大な問題はたくさんありますが、地域医療提供体制の問題は個の生命だけでなく地域社会自体の命運にも関する大きな問題であるはずです。放置・無関心・対立・妥協、或いは撤退して行くのでは無く、何とか『発展的に解決』して行かなければ安房の将来は厳しいものであると確信しています。そして我々は旧医師会病院への対応で『発展的解決』の一例を経験・学習しています。これからの『安房での生活を護る』には『覚悟をもった地域医療提供体制の見直し』も必要ではないでしょうか?
微力ではありますが、これまでの経験・学習を活かし、前向きに臨んで行きたいと思います。
巻頭言 Vol.50 No.4 2014
安房医師会理事 杉本 雅樹
この原稿が紙面に載るころには、ブラジルワールドカップが終わっている頃でしょうか?今回はベスト8以上であることを期待しております。
日本サッカー界の世界への挑戦とその実績には目を見張るものがあります。なぜサッカー界が着実に進歩していったかといえば、ズバリJリーグ100年構想があるからだと思います。“スポーツで、もっと、幸せな国へ”というスローガンのもと、地域に根付いた地道な活動を行い、住民に支持されているからこそサッカーが発展しているのです。そしてなにより、運営されている方々を中心に、ルールにのっとって健全な活動をしているからこそ成し遂げられるものだと思います。
さて、安房医師会は新公益法人となり、初めての決算総会が終わりました。(執筆中はまだ終わっていません)今回、若輩者の平理事の私が巻頭言を執筆するという大役をいただいたのは、新しい医師会を内外に示すために必要な事だったかもしれません。
私は、医師会病院が社会福祉法人太陽会に委譲され、安房地域医療センターとして生まれ変わる過程を経験した、今では数少ない医師会理事の一人です。言い方を変えれば、旧医師会病院時代の安房医師会を経験したことのない新理事の部類に入ります。そして、私を含めて現理事の大半は旧体制を知らず運営しております。 “温故知新“という言葉がありますが、我々医師会理事は、先人の教えを大切にしつつ、新しい発想や、チャレンジ精神をもって未来ある組織にしようと努力しております。執行部はじめ理事の方々は、かなりの時間を医師会運営に費やしております。そんな中、いまだに医師会入会金や運営費に絡む問題で、理事会のかなりの時間を使っていることが現状であります。
私たちは新公益法人を運営する立場として、会員の皆様に対し、面白くない話をしなければならない時もあります。有名な言葉に、“過去は変えられないが、未来はすぐにでも変えられる”というものがあります。安房医師会が未来永劫存続するために絶対に必要なことは、不公平感のない、常識的な細則の上に、会員一人一人が、謙虚に協力していくことと信じております。
医師会は会員一人一人の心の支えみたいなものです。医師会病院がなくなった今となっては、行政との連携を密にして、よりよい地域を創り上げることが求められているような気がします。小嶋会長のもと、我々安房医師会は一丸となり、医療という専門性を持って、地域の発展に尽くしていければと考えております。
まだまだ若輩ものではありますが、どうぞよろしくお願いいたします。