巻頭言 Vol.47 No.4 2011
安房医師会副会長 原 徹
未曾有の大震災と経済の悪化、さらには政情不安など厳しい現実ばかりが目に付く毎日ですが今朝(6月6日)の新聞記事には久し振りに明るい希望が湧きました。その内容は『反物質』を1,000秒(約16分)閉じ込める事に成功したとの報告でした。『反物質』と言っても何の事だか良く解らず、私自身もダン・ブラウンの小説“ANGELS&DEMONS(天使と悪魔)”を読むまでは気にも留めなかったものです。
この小説は既に映画化され観られた方も多いと思いますが、その舞台の一つとなったCERN(Conseil Europeen pour la Recherche Nucleaire ; 欧州原子核研究機構)での成功が報じられていました。この施設には全周が27kmにも及ぶ巨大な装置である大型ハドロン衝突型加速器Large Electron-Positron Collider(LEP)が設置されており、スイス・フランス国境地帯の地下100mの場所で実験が行われています。その装置を使い、陽子を超伝導加速空洞により陽子ビームを7TeV(10の12乗 電子ボルト)まで加速し、8テスラ強の超伝導電磁石でその軌道を曲げて円形の周回軌道に乗せ、陽子と陽子を正面衝突させる。 即ち14TeVの衝突エネルギーを持って反物質を作り出しているとの事です。
ところで『反物質』とは電荷が正負逆転した物質のことであり、それ以外の性質(質量、スピン)などは通常の物質と全く同じ物質です。我々が物理学で学んだ物質の基本である電子、陽子、中性子に対して陽電子、反陽子、反中性子といった反物質が存在しています。質量/エネルギー変換式、はアインシュタインによって解き明かされた原理ですが、逆に真空中でエネルギー密度を高めると逆変換が起こり、エネルギーから質量を持った物質が生成されることになります。この際、物質と反物質は1/2の確率で同数出現しますが、これを得る為には先程の陽子と陽子を超高速(陽子を光速;秒速約30万kmの99%以上)に加速し、衝突させ巨大なエネルギーを得る事が必要となります。この加速を得る為に真空チューブの中で、起電磁石等を使って陽子を加速させる訳です。真空チューブはリング状になっており、そのチューブの周りを磁気コイルが巻いています。これが陽子シンクロトンの構造で、磁気コイルによって生じた磁場によってローレンツカが発生し円軌道を描く様に方向転換をすることができます。こうして全周27kmに及ぶ円軌道の中で、繰り返し加速させて行くと果てしなく光速に近づきます。これが粒子加速器の原理です。
ところでこのようなことが自然界で起こったのは“ビッグバン”の時で、同数で出現した物質、反物質が再び反応して巨大なエネルギーとなりました。この物質と反物質が反応することを『対消滅』といい発生エネルギーは、質量に等しく、単位質量当たりのエネルギー(エネルギー密度)は理論上最大となります。要は原子力のエネルギーよりも格段に効率よくエネルギーを得る事が可能な理論です。核分裂での質量欠損は質量の一部が欠損してそれがエネルギーになるが、対消滅の場合反応する物質・反物質の質量全体がエネルギーとなるため、比べものにならないくらい大量のエネルギーが放出されます。具体的に核分裂では核燃料の質量のおよそ0.1%、核融合ではおよそ1%がエネルギーに転換されるのに対し、反物質を燃料として使えばその大部分がエネルギーに転換されることになります。どのくらいかというと1gの物質と1gの反物質を対消滅させた場合、約180兆J(ジュール)程度のエネルギーが得られる計算となり、上手く平和利用すれば現存のどのエネルギー源よりも高効率でエネルギーを得る事が可能となります。具体的には1gの反物質が対消滅することで得られるエネルギーは広島で使用された原爆と同等のエネルギーを発生すると言われています。これを小説の中での様に武器として使う程人間は愚かな生命体ではないでしょうが凄まじい熱量となることは間違いありません。
ところで理論上では同数が反応したはずの物質と反物質ですが、今現在の地球周辺には物質しか残っておらず、その理由は未だ分かっていない宇宙の謎とされています。要は現状では反物質を自然界から得る事は出来ず、これを得るには多大なエネルギーを要することになります。この為ウランなどの自然界に在る放射線物質を利活用する核融合、核分裂とは異なるのが実情です。ただし太陽光エネルギーを用いて反物質を作成し保存する、宇宙船の動力源として少量で賄う事ができる等、将来有望なエネルギー源になりうると期待されています。
今回の巻頭言では明るい話をお届けしようと思いました。人類はこれまでも大きな災害を克服し、叡智を集め進歩してきました。しかし原発の事故はこの進歩が齎した新たな災害とも言えます。我々の世代では鉄腕アトムが憧れであり、幸福な未来を目指してきました。然し、それを充分に制御し、安全に使用することがいかに困難であるかも今回知る事が出来ました。安房地域3市1町も観光などの3次産業だけでなく、農業・漁業等の1次産業にも失速が見られています。辛い現状だけを視るのでは無く、輝く未来の情報を少しでも提供する事が出来たなら幸いです。